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2013年8月 1日 (木)

【八重の桜】第30回感想と視聴率「再起への道」

「再起への道」

大変、遅れてしまって、すみません。

第30回の視聴率は、前回の14.5%より下がって、12.6%(関東地区)でした。

裏に、サッカー・東アジアカップ「日本×韓国」(17.8%)があったので、これに食われてしまったかもしれません(汗)

ちなみに、日本が韓国に「2-1」で競り勝って、優勝しました♪

 

『八重の桜』は、明治2年2月、会津戦争の敗戦から6ヶ月後になり、新島襄(オダギリジョー)から始まりました。

続けて1ヶ月違う日付が出てきましたが、きっと新暦と旧暦なのでしょうね?

明治2年2月(1869年3月)、アメリカ、マサチューセッツ州のアーモスト大学の礼拝堂で、新島襄(オダギリジョー)は祈っていました。

そこへ、シーリー先生が入ってきて、襄に何を祈っているのか聞きました。

襄「日本では革命が起こり、明治という新しい時代が始まりました」

シーリー「メイジ?」

襄「人民の声を聞いて政治を行えば、国が明るく収まるという意味です」

シーリー「それは素晴らしい国家の理想だ」

襄「しかし、同じ国の人間が相争った傷は深く、痛みはたやすく消えない。報復のためにまた戦が起こりはしないかと・・・

 互いに恨みを捨て、神の愛と正義のもと、新しい国作りがなされますように・・・

 死者と遺された者のため・・・そして、悲しみ、憎しみ、恨む心を癒したまえ」

 

「明治」という年号は、そういう意味だったんですね。

そして、日本の外から見たら、戊辰戦争は革命だったんですね。

確かに、これまで何百年も続いた武士の時代が終わったので、画期的な革命だったかもしれません。

ただ、尚之助さんが好きなのに、冒頭、八重の次の夫を見せられると、ちょっと切なくなりました(汗)

 

その頃、八重達は、米沢藩の城下にいました。

尚之助が銃を教えた縁で、米沢藩士、内藤新一郎の申し出を受け、屋敷の離れに住まわせてもらい、八重とみねが反物の行商をして生計を立てていました。

尚之助さんは、猪苗代の謹慎所から東京に移されていました。

 

語り「山川大蔵らの助命嘆願によって、新政府は容保親子の死一等を減じたが代わりに首謀者の首を差し出すよう迫った。

そして、この日、家老の萱野権兵衛に刑が執行される事になった」

 

明治2年(1869年)5月18日。

東京、飯野藩邸。大蔵と梶原の待つ部屋に萱野が来ました。

大蔵「此度は・・・戦の責めを一身に背負っていただき、真に申し訳ございやせん!」

梶原「城中にて戦の指揮を取ったのは私でごぜえます。真は私が腹を切るべきところを・・・」

萱野「馬鹿者! 皆で死んでなじょする!

 一死をもってご主君をお守りするのは武士の誉れだ。

 この役目、にしゃらには譲れぬわ。ハハハ・・・」

大蔵「萱野様、大殿より親書をお預かりして参りやした」

萱野「大殿から?」

萱野、渡された手紙を読む。

 

<容保の手紙>

「権兵衛、一目だけでも会いたかったが今の身の上では、それも許されぬ。

 そなたの忠義、終生、忘れぬ」

萱野、読み終わり、泣く。

 

大蔵、照姫からの手紙(歌)も渡すが、萱野、涙が溢れて読ず、代わりに大蔵が読む。

<照姫の歌>

「夢うつつ 思ひも分ず 惜しむぞよ

まことある名は 世に残れども」

 

萱野「まことある名は世に残れども・・・

 ありがたい! これほどのご厚情を受げでわしは幸せ者よ。

 ただ一つ、無念なのはな、会津が逆賊の汚名をはらす日を見届けずに死ぬ事だ。

 戦で奪われた物は戦で取り返すのが、武士の習い。頼むぞ!

 そうでねえと、そうでねえと・・・死んだ者達の無念がはれぬ!」

大蔵「その儀、確かに」

大蔵と梶原、ひれ伏す。

「では、さらばだ」と、萱野、出て行く。

 

処刑シーンはありませんでした。

萱野さん、「皆で死んでなじょする」と思いやりがあって、優しかったです♪

早々と2人で自害してしまった家老達より重い、意味のある死でした(^^)

ただ「戦で奪われた物は戦で取り返すのが、武士の習い」との事ですが、武士の時代はもう終わりますね。

彼らには思いもよらなかったでしょうけれど。

 

この数日前、箱館、五稜郭に拠点を構えた旧幕府軍と列藩同盟との戦いで、土方歳三が撃たれて戦死しました。

旧幕府軍は、萱野の処刑と同じ日に降伏しました。

鳥羽・伏見の戦いから、およそ1年半に渡った戊辰戦争が遂に終結しました。

頼母もここにいて、榎本武揚と話しました。

頼母「松平容保公の代わりに首を討だれんのは、それがしの役目でござった。

 萱野権兵衛殿一人に・・・責めを負わせてしまった」

榎本「敗軍の我らはこれから泥水をすすって生きる事になろう。

 さあ、敵陣に下るか」と出て行く。

頼母(独言)「わしは・・・生きる。

(千恵の辞世の句を出して握りしめ)千恵、わしは生ぎっつおう!

 わしらのわしらの会津を踏み潰してった奴らが、どんな世の中、作んのか、この目で見届けてやる!」

 

生き残った頼母も切ないでしょう。

殿を生かすために死んだ萱野と、泥水をすすっても、これからの会津のために生きて行く道を選んだ頼母。

両者が対比され、どちらも素晴らしい選択だったと思います(^^)

 

八重は、反物の行商をしていて、同郷の千代(中村優子)と知り合いました。

千代を庇護する家長の宗右衛門(及川いぞう)に会津を侮辱され、八重は怒りに我を忘れて、殺しそうになってしまいました(汗)

千代が「やめてくなんしょ!」と間に入って命乞い。

千代「この人に何かあったら、長次郎は生きていけない」

 

あんな嫌な男にすがらないと生きていけないのは、辛いですね(汗)

私は情けない女だと、千代は八重に言いましたが、仕方ないでしょう(涙)

八重「何も情けなくねえ。今は生きぬく事が戦だ。

  生きていればいつかきっと会津に帰れる。

  それを支えに生きていくべ」

 

土地を失い、負けた藩の者が、生き抜くのは男も女も大変ですね。

ユキ(剛力彩芽)達は、今回、登場しませんでしたが、どう生きているでしょうか?

 

お家再興が叶い、会津藩士達は、下北半島最北端の陸奥のやせた土地へ移される事になりました。

大蔵は、その地に「斗南」という名前をつけました。

怒る藩士達に大蔵は説明しました。

大蔵「新しい藩名を『斗南』とする。『北斗以南皆帝州』からとった。

 最北端の地も帝の領地。我らは朝敵ではなく、帝の民であるとの意だ。

 「斗」は斗うという字だ。斗い続けて、いつか故郷の土地と会津の名を奪い返す。

 まず国の力をつける。そのためには交易だ。会津にはなかった海が斗南にはある。

 辺境の地に強国を作る。反撃ののろしを揚げるのはその時だ。

 どの地も全て戦場と思え!」

 

口がうまいですね(^^)

うまく皆を納得させる事ができました。

梶原は、此度の家名再興を受けて、大蔵が我が藩の筆頭の大参事に就任すると皆に言いました。

正に、適任だと思います♪(^^)

梶原は、戦の首謀者は真は自分だったと、自戒の念で全ての役職を退き、大蔵にこれからの事を託しました。

 

大蔵は、八重達の所にお家再興を知らせに来ました。

佐久は喜び、「こづゆ」を作り、皆で食べました。

こづゆ」とは、おめでたい時に食べる会津の郷土料理のようです。

見た目、まべぶ汁に似てますね♪

 

帰り際、見送りに出た八重に、大蔵は言いました。

大蔵「「斗南に来ねえか?

 ここより厳しい暮らしになるかもしんねえが、新しい国を作るために八重さんの力を借りてえ」

 

この言葉と、断られらた時の落ち込みようを見ると、まるでプロポーズみたいでした(^^;)

 

八重「私は怖えのです」

この前、会津を侮辱した人を殺しそうになってしまった。今でも三郎やお父様や皆の無念を晴らしたい。でも、恨みを支えにしていては、前には進めない。

八重「さっきのこづゆがあんまりおいしくて、皆でいただけるのが嬉しくて、もうしばらく、こうして生きていってはなんねえだべか?」

大蔵は頷き、八重の肩に手をやりました。

八重「勝手な事を言って、すまねえなし」

大蔵「いやあ、俺の方こそ」

 

尚之助さんと大蔵には気の毒ですが、八重がいないと、山本家皆の生活も困るので、断って良かったです。

今、八重は一家の大黒柱。

うらは生地を染めているだけで(染めた生地を売っているのかな?)、佐久は縫い物をしていて、八重とみねの反物の行商で生活しています。

みねは、とても頑張っていましたが、八重がいなくなったら、皆、困るでしょう(汗)

 

大蔵「川崎殿に何か伝えっがし?

 川崎殿は仰せでした。

 開城の日、己の勝手な思いで八重さんから誇りを奪ってしまった。

 それを返すために、斗南の地に八重さんの故郷をもう1度作りたい。

 その思いを胸に斗南に行くんだと」

八重(涙ぐみ)「尚之助様に伝えてくなんしょ。『待ってます』と」

大蔵「はい」と、お辞儀して去りました。

 

尚之助さん、極寒の地に、八重の故郷を作るために行くなんて、愛ですね♪(^^)

 

明治3年(1870年)3月、会津藩士達は次々と新天地・斗南を目指しました。

3月というと、新暦で4月頃でしょうか?

寒そうでしたが、冬は終わったのでしょうね。

 

今回は、敗戦後の処理と、苦しい会津の人々の生活、箱館の戦も終わり、戊申戦争の終結でした。

次回は、「離縁のわけ」

尚之助から八重に「離縁状」が届くようです(汗)

でも、きっと尚之助さんの事だから、八重のためでしょうね(涙)

覚馬とうらの方も・・・(汗)

どちらの離縁も気になります(^^)

 

【第30回あらすじ】 (Yahooテレビより)

1869(明治2)年、アメリカの襄(オダギリジョー)は日本の行く末を案じ、祈りをささげていた。会津戦争から半年、尚之助(長谷川博己)は捕虜となっており、八重(綾瀬はるか)たちは米沢藩の知人の家に身を寄せていた。みね(池田沙弥花)と反物の行商をして生計を立てている八重は、同郷の千代(中村優子)と知り合う。だが、千代を庇護(ひご)する家長の宗右衛門(及川いぞう)に会津を侮辱され、八重は怒りにわれを忘れる。萱野(柳沢慎吾)の斬首という犠牲によってお家断絶を免れた会津松平藩だったが、下北半島最北端のやせた土地・斗南へ移されることになる。筆頭の大参事となった大蔵(玉山鉄二)は、尚之助も斗南に行くことになると八重に告げ、一緒に斗南に移住するよう勧める。

 

【視聴率推移】 (視聴率は関東地区)

[第1回]21.4%  [第2回]18.8%  [第3回]18.1%  [第4回]18.2%

[第5回]18.1%  [第6回]15.3%  [第7回]17.5%  [第8回]15.6%

[第9回]15.1%  [第10回]12.6%  [第11回]14.3% [第12回]13.9%

[第13回]14.3%  [第14回]11.7%  [第15回]14.2% [第16回]13.8%

[第17回]13.7%  [第18回]15.7%  [第19回]15.0% [第20回]13.7%

[第21回]14.1%  [第22回]13.3%  [第23回]15.0% [第24回]14.8%

[第25回]12.9%  [第26回]14.0%  [第27回]12.9%  [第28回]16.1%

第29回]14.5%  [第30回]12.6%

 

公式HP・次回あらすじ

 

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コメント

確かに武士の世は終わるのですが、
「戦で奪われたものは戦で取り戻せ」という萱野権兵衛さんの遺言を忠実に実行したのが佐川官兵衛らでしょうか。

後に西南戦争が勃発すると彼らは警視庁抜刀隊として出陣します。激戦地となった田原坂において旧会津藩士は「戊辰の復讐」と呟きながら、血しぶきを上げて戦ったといいます。


一方において西郷頼母的な達観もあり、両者の生き死に、上手に描かれておりましたですね。八重さんも今のところ、なじょしたら良いのか、判らなくなっているのかも。

今は反物の行商などやっておりますが、先進的な技芸を身に付けた女性ですからね。やっぱり尚之助さんと別れて、京都に出て、オダギリじゃなかった新島ジョーと出会ってから道が開けるので。(汗)

来週は別れの季節になるようです。尚之助さんファンのショコラさんには辛い回になりましょうが、レビュー方、宜しくお願いします。


なお、今回山川健次郎を預かった長州藩士の奥山謙輔も、後に萩の乱を起こして斬首に処されておりますので、負けた側はもちろん、勝った側も大変な時代でした。

>レッドバロンさんへ

コメント、いつもありがとうございます♪(^^)
お返事、遅くなってしまって、すみません。

>確かに武士の世は終わるのですが、
「戦で奪われたものは戦で取り戻せ」という萱野権兵衛さんの遺言を忠実に実行したのが佐川官兵衛らでしょうか。
>後に西南戦争が勃発すると彼らは警視庁抜刀隊として出陣します。激戦地となった田原坂において旧会津藩士は「戊辰の復讐」と呟きながら、血しぶきを上げて戦ったといいます。

なるほど☆
まだ西南戦争がありましたね(汗)
忘れてました(^^;)

> 一方において西郷頼母的な達観もあり、両者の生き死に、上手に描かれておりましたですね。

そうですね。
当時としては、萱野の考え方が支持されたでしょうけれど、今の時代だと、頼母の生き方も好感が持てますね(^^)

>八重さんも今のところ、なじょしたら良いのか、判らなくなっているのかも。
>今は反物の行商などやっておりますが、先進的な技芸を身に付けた女性ですからね。やっぱり尚之助さんと別れて、京都に出て、オダギリじゃなかった新島ジョーと出会ってから道が開けるので。(汗)

戦争で全てを失った直後なので、なじょしたら良いのか判らなくなって当然ですね。
確かに、八重さんが有名になるのは、これからの人生においてなんですよね(汗)
今迄のドラマの尚之助さんが素敵だっただけに、ジョーさんはこれと比較されて、大変だと思います(^^;)

>来週は別れの季節になるようです。尚之助さんファンのショコラさんには辛い回になりましょうが、レビュー方、宜しくお願いします。

お気遣い、ありがとうございます♪
最近、『半沢直樹』が面白いので、次回もレビュー、これを優先して、『八重の桜』、火曜か水曜になってしまうかも?
すみませんm(__)m

>なお、今回山川健次郎を預かった長州藩士の奥山謙輔も、後に萩の乱を起こして斬首に処されておりますので、負けた側はもちろん、勝った側も大変な時代でした。

そうなんですか。
まだまだ戦争はなくならないんですね(汗)
激動の時代でしたね(^^;)

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