島倉千代子さん、肝臓がんで死去
歌手の島倉千代子さん(75)が8日午後0時30分、肝臓がんのため都内の病院で亡くなられたそうです。
驚きました。
昔、「人生いろいろ」が流行った頃、新宿コマ劇場へ母とリサイタルを見に行った事があります。
ミニ演劇もあって、とても動き回り、素晴らしいステージでした♪
好きだったのに、残念です。
20年前に初期の乳がんが見つかり、温存手術したようです。
今度のがんは、20年も経っているので関係ないでしょうね。
実印を知人に貸してしまって、いろいろな人の借金の保証人にされてしまったり、手形の裏書をしたりして、何億とか借金を背負わさせられたり、いろいろとお金の苦労をされたようです。
でも、その度にちゃんと返して、すごかったですね。
「YouTube」で、島倉さんの歌をいくつか載せようと思い、検索して、「東京だよ おっ母さん」を見ていたら、涙が出てきました。
戦争は知らないけれど、名作ですね。
ただ、「人生いろいろ」が一番好きです♪(^^)
「姉さん」と慕っていた美空ひばりさんと、あの世で仲良く再会されてますように☆
ご冥福をお祈りします。。。
【参考ニュース】
島倉千代子さん死去 75歳 30年連続「紅白」出場(スポニチアネックス)
「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲で知られる、歌手の島倉千代子(しまくら・ちよこ)さんが8日午後0時30分、肝臓がんのため都内の病院で死去した。75歳だった。東京都出身。
【写真】元夫の阪神主砲とのツーショット
3月30日の誕生日にイベントを行い、元気な姿を見せていたが、帰らぬ人となった。
島倉さんは1938年(昭13)生まれ。53年、日本音楽高等学校へ入学後、歌謡コンクールに積極的に出場し、翌年コロムビア全国歌謡コンクールで優勝。同社と専属契約を結び、55年にデビュー。デビュー曲「この世の花」が同名の映画の主題歌となり、大ヒットとなり、一躍人気歌手となった。
57年、「東京だョおっ母さん」がさらに大ヒット。映画化もされ、自ら主演で銀幕に登場した。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場した。
のちにプロ野球阪神の藤本勝巳選手と結婚。30年連続紅白出場など歌手として充実した日々を送ったが、私生活では離婚や借金の保証人になり、多額の負債を抱えて苦労した。
80年代に「人生いろいろ」が大ヒットし、ものまねタレントがこれをアレンジし、若者にも人気を博した。
93年に初期の乳がんが見つかり治療。99年には紫綬褒章を受章した。
― ― ―
「人生いろいろ」大ヒット...小泉首相が国会答弁でも使用(スポニチアネックス)
◇島倉千代子さん死去
島倉さんは、戦後の日本の歌謡界で長く第一線で活躍した。1989年に亡くなった美空ひばりさんとともに、ヒット曲を連発した。艶(つや)やかで天才肌のひばりさんに対して、控えめでいて可れんな歌声は多くのファンを魅了した。ライバルでもあったが、ひばりさんとは「姉さん」「お千代」と呼び合う仲だった。
歌手デビューは1954年だから、足かけ60年の歌手生活だった。島倉さんの名が世に知られたのは、1957年、19歳で「東京だョおっ母さん」が150万枚の大ヒットになったことからだった。
以後、55年「この世の花」「りんどう峠」、57年「逢いたいなァあの人に」の大ヒットで、その年紅白歌合戦に初出場を果たす。紅白には合計35回出場し、うち1回大トリを務めた。
コンスタントにヒットを飛ばし、61年「恋しているんだもん」66年「ほんきかしら」83年「積木くずし」などなど。87年には「人生いろいろ」が大ヒットし、のちに小泉純一郎首相が国会答弁でも使うほどの流行語にもなった。
【YouTube】 (無料動画)
島倉千代子 CD全16曲 本人歌唱 人生いろいろ/からたち日記/他
【送料無料】 島倉家 これが私の遺言 / 島倉千代子 【単行本】
できればクリック、お願いします
« 秋ドラマ視聴率一覧(6)(関西1位リーガルハイ関東1位ドクターX) | トップページ | ネタバレ【ごちそうさん】第7週日別粗筋(11/11~11/16) »
「芸能・アイドル」カテゴリの記事
- 嵐、来年末で、グループ活動休止(2020年12月31日迄)(2019.01.27)
- ジャニーズ事務所 山口達也さんと契約解除!(2018.05.07)
- 清水富美加さん電撃引退・出家(幸福の科学)(2017.02.13)
- いきものがかり放牧宣言(活動休止)にびっくり(2017.01.06)
- 成宮寛貴さん、引退発表(汗)(2016.12.10)
この記事へのコメントは終了しました。
« 秋ドラマ視聴率一覧(6)(関西1位リーガルハイ関東1位ドクターX) | トップページ | ネタバレ【ごちそうさん】第7週日別粗筋(11/11~11/16) »
コメント